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4.苫小牧のクマ騒動
4.苫小牧のクマ騒動
苫小牧市は北に支笏湖周辺の山々、東に勇払原野・ウトナイ湖が広がり、工業都市のイメージがありながら、ヒグマが住む自然環境も身近な場所にある。市内では、住宅街に接する山林や道路、霊園などで頻繁にヒグマが目撃され、ヒグマが市街地に迷い込む可能性は低くはない。
2003年11月のヒグマ騒動は、そうした「迷いグマ」の出現が人間側の誤認と過剰反応によって、警察ヘリやパトカーが繰り出し、17万人のまち全体が「猛獣」におびえるという現象を引き起こした。野生動物への理解・知識の不足が、本来あるべき危機管理ではなく、空騒ぎのような「対策」を生み出したと言っていいだろう。
行政側はいくつかのミスを犯した。あやふやな目撃や足跡調査を元に、「出没ヒグマは2頭」と即断し、地道な痕跡の調査よりも、大がかりな警戒態勢を優先した。しかも、ヒグマが見境なく人を襲うような前提で、住民への注意呼びかけや集団登下校を指導し、報道の相乗効果もあって、不安を拡大させた。
だが、これは苫小牧市だけで起きたことではない。ヒグマ出没に関する情報分析・収集や危険度の判断を、専門的なスキルで行える行政官は、どの市町村でもまずいない。いったん騒ぎが起きると、マスコミによって不安は拡大再生産される。頼るべき専門家がいなければ、どこの町でも起きうる大騒ぎだ。だからこそ、事態の検証と教訓の確認は欠かせない。
まず、時系列で「出来事」を追ってみる。
2003年11月12日 真夜中の午前0時から午前2時ごろ、苫小牧市のJR駅から北東部の住宅街でヒグマの目撃情報が相次いだ。
新開町、中野新町で、工事作業員や運転手らが、「中央分離帯の間を駆けていった」「コンビニの前を通った」と次々と110番通報。午前3時半には、午前5時にはJR室蘭本線を海側に渡った晴海町の木材集積場付近でも目撃があった。午前3時半には、苫小牧西港を挟む真砂町の製油所でも目撃通報があったが、これはクマか犬などか未確認だ。
12日は朝から大騒ぎとなった。苫小牧駅から3キロの住宅街、工場地区で、山側から海近くまでヒグマが走り抜け、どこかに潜んでいることになる。道警ヘリとパトカー20台が、市の広報車が出動し、外出自粛や集団登下校を呼びかけた。
12日の新聞夕刊には「住宅街 ワッサワッサ 住民『襲ってきたら…』」という見出し、「街灯に照らされた巨大な影はヒグマだった」という書き出しの記事(北海道新聞)が掲載され、緊迫感を強めた。
晴海町の製油所で見つかった足跡は13個。クマの大きさの手がかりとなる幅は「15センチ」「12センチ」と2通りの記録が残り、長さは22センチとされている。これをもとに「体長2メートル、5歳くらいのオス成獣」と推定された。実は、この推定が、「複数頭」の根拠となり、後ほど訂正されることになる。
現場に近い12の小中学校が集団登下校を行い、警察官やハンターが巡回する物々しい雰囲気の中で、12日から13日夕方までは、クマ情報は途絶えた。いくつかの通報は、犬の見間違いなどだった。
13日午後9時ごろ、最初の目撃地点から4キロ南東に離れた、郊外の製紙工場から目撃通報があった。一夜明けた14日早朝、猟友会員らが足跡を確認。これが小型の若いクマと推定されたため、「市街地に侵入したクマは2頭」とさらに緊張が高まった。
14日午前9時には、製紙工場周辺で警戒中の猟友会員が、ヒグマに「体当たり」された。「背後から襲われた」という情報で、道路は通行止め、近くの学校も臨時休校となったが、実際はちょっと違った。猟友会員にけがはなく、どうやら警戒におびえたクマが、草むらから飛び出したときに人間にぶつかってしまった、というのが真相らしい。
このクマは、人にぶつかっ後、勇払原野方向に逃げ去り、市街地からは遠ざかった。14日午後の時点で、市長を本部長とする「緊急ヒグマ対策本部会議」は、「出没ヒグマは2頭なので、もう1頭残っている」と考えていた。
15日は晴海町の臨海工場地区で、約100人によるローラー作戦が行われた。コンテナや資材置き場を徹底的に調べ、「潜んでいるもう1頭」を探すためだ。だが、北海道庁の専門家らが訪れて現地を調べ、痕跡調査から「足跡はいずれも同一個体とみられる小型の若いクマ。市街地北部の高速道路アンダーパスから市街地に入り、東端の製紙工場から原野に抜けた」と推定。つまり、出没していたのは、勇払でハンターとぶつかって逃げた若いクマ1頭だけだったことになり、一気に事態は解決。大捜索陣もこの日夕方には解散となった。
■分析と検証
最初の目撃情報が12日未明の110番通報だったこともあり、ヒグマ対策は警察主導で始まった。「安全・治安」を本務とする警察にとって、市街地へのヒグマ出現は「自然災害」と「凶悪犯逃走」を併せたような事件となった。
苫小牧市の場合、通報は警察経由がほとんどで、市役所自然保護課から教育委員会(各学校)、猟友会(市ヒグマ駆除隊)などに連絡が届く。今回も同様で、まずは「住民の安全を守る」ための対応と広報が行われた。その結果、広報車やパトカーの巡回と外出自粛呼びかけ、集団登下校やハンター・警察官の24時間警戒など、地域全体を巻き込む大がかりな動きが12日朝から始まった。
警察や学校が「安全第一」と考えることは当然だが、その根本にあるべき、「いったい何が起きて、何が問題なのか」という情報の収集と分析は十分ではなかった。「何か危険なものが市街地に現れた」「とにかく住民の身を守らねば」「考えられることはすべてやろう」というように思考と対策が原因を置き去りにして進んでしまい、合理性が欠落していったことは否めない。
当時、市内の派出所などが制作して住民に配った「ヒグマ警戒」のチラシがあるが、「「クマが出たぞー」「ガオー」などと、危険と恐怖感を伝え、警戒を呼びかけるものがほとんどだった。もし市民に情報を伝えるなら、こうした散発的、感情的なチラシではなく、出現場所を示した地図や痕跡の種類を解説し、「草むらや植え込みには不用意に近づかない」「生ゴミや作物が荒らされたり、足跡やフンに気づいたらそのままにして通報を」などと、具体的な安全策や情報提供につながる広報が必要だろう。また、そうした準備も平時から必要だ。
苫小牧市行政には、多くの自治体と同じように野生動物の専門家はいない。痕跡の調査やヒグマの動静に関する判断は、猟友会員(市が委嘱した駆除隊員)に依存する形になった。
今回の場合、12日時点で見つかった足跡から「成獣」という判断がまず導かれ、それがずっと残り続けた。そのため、13日夜以降の小型クマの痕跡は「別個体」とされ、「出没は2頭」となって、騒ぎを大きく、長引かせた。道環境科学研究センターの専門家が痕跡を再検証して「同一個体」(出没は小型の1頭)とするまで、判断は訂正されなかった。確実なことと曖昧なこと、調査時点での推定と追加情報が得られたときの修正など、「データの客観的な分析」は不可欠だ。
駆除隊員はヒグマ追跡の経験は豊富だが、本来、個人的行動である狩猟をベースにしているので、そこに組織を動かす行政判断を担わせることは荷が重い。狩猟者の経験を生かすためにも、やはり行政側に一定の訓練を受けた「専門員」が必要だ。
苫小牧市のような比較的大きな市でも、野生動物の専門家を抱えることは難しい。現実的には、都道府県が各圏域に専門員を配置し、市町村と連携する態勢が実際的だろう。
苫小牧市の広報は、「素早く、全面的に」を基本方針とした。「情報が正確ではなかった」「騒ぎが大きくなった」という批判もあるが、この基本方針は評価できるのではないか。問題だったのは、不正確な判断が放置されていたことである。「確認できるまで何も公表しない」というやり方よりは、むしろ信頼されるのではないか。とはいえ、今後もこうした市街地の案件では、「どう伝えるか」という担当者の悩みは続くだろう。
マスコミ報道は、いくつもの課題を残した。「本記」と言われる事実報道は、出没情報や対策を伝える淡々としたものだったが、「サイド記事」と呼ばれる周辺情報は、目撃者や付近住民の「驚いた」「怖い」という発言が大半を占め、そこに専門家の断片的な推測が織り込まれた。
「何が起きているのか」がよく分かっていない状態で、偶然の目撃者に取材しても、感想以上のものは出てこないのが当然だ。警察や学校が「安全第一」として高度の警戒態勢をとり、パトカー出動や集団登下校という「絵になる」素材が、クマの行動は別次元の「現場」を作り出し、報道によってさらに拡大再生産される、という図式が起きていた。
ある記者は「市街地までクマが出たという、市民の驚きを伝えた」と説明するが、それははるかに大きく増幅されて伝わることに留意すべきだ。別の記者は「報道や取材行動が住民の不安を増幅させたかもしれない」とも振り返る。「何が起きているのか」「どうしたらいいのか」という問いを取材者は持ち続けるべきだろう。
発生当時の報道は、状況を追わざるを得ないとしても、終息後の検証報道が少なかったのは大きな問題だ。まとまった検証を試みたのは、地元紙の苫小牧日報くらい。特に今回は、複数出没説や過剰警備が事態を拡大させただけに、情報や経過を振り返ることは、さまざまな教訓につながったはずだ。
「別のクマ」「まだ潜んでいる可能性」などという報道が、突然「足跡を分析した結果、同じクマの可能性が高い」と対策本部の見解を伝えて終わるのでは、読者・視聴者は戸惑ってしまう。取材陣自身が「情報に振り回された」「不安を増幅したかも」と思うならなおのこと、検証記事・番組に力を入れるべきであった。またそれが、報道の信頼向上につながるだろう。
■フォーラム
翌年の2004年9月19日 ヒグマの会はヒグマフォーラムをウトナイ湖鳥獣保護センターで開いた。市の担当者らを招いて大騒動を検証するとともに、現地を視察した。
主に指摘されたのは、「クマに関する知識不足による過剰反応」と「クマを凶悪犯のようにみておびえさせる広報・報道」の2点だ。
現地視察の結果では、高速道路アンダーパスをくぐって市街地に北から入り込んでしまった若いヒグマが、植え込みや工業資材の間に隠れながら、およそ60時間後に東部の原野に逃げ去った経過が浮かび上がった。採食痕やフンは確認されておらず、クマも相当緊張を強いられていたのだろう。
ヒグマの中でも若いオスは行動範囲が特に広く、未知の地域にも出て行く。また、好奇心が強かったり、警戒心が薄かったりする。それは射殺されるなどのリスクを伴うが、生物的には、個体群の生息域を拡大する先兵の役割を担う。今回の出現ヒグマの性別は定かではないが、若い個体の無謀な行動は、今後も起きうる。
騒動当時、「大型のクマが山に餌がないため住宅街に侵入した」と警戒されていたが、「うっかり市街地に迷い込んだ若グマ」とは、イメージに大きな差がある。少なくとも、積極的に人を襲う習性のあるヒグマが生き延びることはまず不可能だ。この落差が、空騒ぎと言われるゆえんだ。
また、無警戒な個体や興奮して逃げ回る個体(苫小牧の場合はこちらになるだろう)は人目につきやすく、目撃・通報は極端に増える。「例年の数倍もの通報」と比較しても、あまり意味はない。ヒグマの生息数が急に増えたわけでもない。報道の件数や記事量も、関心の高さに比例するだけで、生息数とは相関がない。市街地周辺では特に、「個体識別」をした上での対策が必要となる。
実際には、苫小牧よりも、もっと身近にヒグマと接している地域は、北海道内に数多い。近すぎる関係は事故のもとであり、予防・警戒が必要だが、少なくともパトカーやヘリコプターの出動は必要ない。
ヒグマの行動はどうなっているのか、危険の度合いがどの程度なのか。そうした調査と判断を行うには、やはり訓練を受けた専門家が必要だという指摘はフォーラムでも強く出された。
今回の騒動を「茶番」とまで酷評する発言もあったが、情報や知識が不十分なまま対応をせざるを得なかった担当者らを責めるよりも、そうした現場の最前線に立つ行政マンや住民を支えるような専門家の態勢をつくることがはるかに重要だ。
北海道にヒグマの研究者は少数ながらいるが、上記のような役割を担う行政的な「対策専門員」はいない。研究者がボランティア的にその役目の一部を代行しているに過ぎない。
兵庫県では、鳥獣対策専門員制度が発足し、10人前後の専門員が県内各地に配置され、ツキノワグマ、イノシシ、サルなどの農林被害に対応している。問題があるとすぐ現地を調べ、市町村や地区、被害農家などと対策方法を協議する。いわば地元の相談役だ。
その手法では、捕獲駆除は最後の手段となる。行動調査を行い、生ゴミなどの誘因をなくし、電気牧柵や追い払いなどを試みる。北海道では、ヒグマの生態研究はかなりのレベルに達しているが、その成果の応用や政策への反映はまだまだ弱い。
■コリドー
一方、フォーラム2日目の視察では、岩手大農学部の青井俊樹教授(前・北大苫小牧演習林長ヒグマの会理事)が早稲田宏一らと電波追跡調査を行ったオスのヒグマ、「トラジロウ」の行動域も紹介された。
トラジロウは市街地に迷い込むことはなかったが、高速道路のアンダーパスを通り、通行量の多い国道36号やJR千歳線を横切って、苫小牧東部工業地帯や勇払原野を何回も往復していた。秋には東側の穂別や日高地方で木の実を食べ、越冬は西側の白老台地に冬眠穴を掘った。つまり従来は完全に分断されたと考えられていた石狩西部と夕張・日高のヒグマ個体群がわずかながらも交流があったのだ。
青井は追跡調査からわかった2つの点を指摘した。1つは、これほどひんぱんに人の活動圏を行き来しながら、ほとんど目撃されていないヒグマの行動の巧みさ。もう1つは、いくら開発されたとはいえ、ヒグマの移動を可能にするわずか森林のつながり、つまりコリドー(移動回廊)の重要性だ。
クマ本来の生存を確かなものにするためには、広大な森林・原野の環境が必要だが、その多くが分断されている日本の現状では、少なくとも遺伝子的な孤立を防ぎ、多様な生息環境をつなぐコリドーが重要になる。
苫小牧の現地視察では、1日数千台の車が通る幹線国道の橋の下や、小さな川の河畔林、窪地の茂み、そして、開発から取り残された未分譲の雑木林に案内された。人の気配や騒音は遠慮なく伝わってくるが、確かに人目にはつきにくい。トラジロウがひっそりと歩いた場所が、細い糸のようにつながり、北海道の西と東のヒグマ個体群の最後の交流ルートとなっていた。
青井はヒグマの行動の巧みさ、柔軟性を指摘しつつも、開発行為や転売によって最後のコリドーが切れかかっている現状を切々と語り、山林の買い取り運動や、せめて伐採の中止ができないかと訴えかけた。
生物的には、トラジロウが初めて勇払原野の横断に出かけたときと、苫小牧の市街地に迷い込んだ若グマの行動は、ほとんど同じことなのだろう。トラジロウは、偶然と言うよりは何かの痕跡を手がかりに、人知れず原野を越えるルートを見つけた。苫小牧市街に迷い込んだ若グマは、必死に身の隠し場を探しながら移動し、銃を構えたハンターの背中にぶつかるというアクシデントを経て、運良く原野に戻れた。
どちらも人を襲うなんて目的は全くなかっただろう。冬眠時期を控え、好奇心か、生存の衝動から、未知の世界へと入り込んだ。たまたま人の生活圏に近く、目撃が続いた市街地では大きな騒ぎとなり、トラジロウは人知れず往来を続けることができた。人間は、ヒグマの行動そのものにではなく、自分たちがたまたま気づいた情報に反応しただけだ、ということなのだ。
■続く市街地騒動
苫小牧のクマ騒動はこれが始めてではない。1997年から2003年にかけ、市営霊園やゴルフ場に出没があり、墓参の自粛やゴルファー数百人の避難などが行われていた。
また、1998年、小樽市では市街地近くにヒグマが現れ、苫小牧と同様に集団登下校などの大騒ぎが起きた。警察が出動し、学校が反応し、騒ぎがさらに増幅される、という点でも似た状況だった。このときは、市街地近くの畑に捨てられた野菜廃棄物がヒグマを誘引したのではないかという見方がある。
2003年秋の苫小牧の騒動と同時期、札幌市でも西区西野でヒグマの痕跡や目撃が住宅街のすぐ近くであり、公園や市民の森が閉鎖され、教員が巡回するなどの緊張が2006年まで続いた。菜園を荒らすヒグマの姿が、民家の窓から見えたりした。
札幌の場合、出没が住宅街の「隣接地」にとどまったことと、市が専門家に早くから相談をしていたため、比較的合理的なリスク判断が行われた。多くのヒグマの会の役員・会員が調査や分析に協力した。
山沿いの家庭菜園ではヒグマが好むスイートコーンの作付けを控えることや、住宅ごとの生ゴミの始末、散策ルートの規制などを呼びかけた。菜園の持ち主には市職員が直接声をかけ、「孫がトウキビを楽しみにしているんだ」というのを、「クマが来てしまうので、何とかあきらめて」と頼み込んだ。
直接の目撃が少なかったため、パニックは起きなかったが、逆に行政側は住民の無関心に悩んだという。朝夕にクマが歩く場所で散歩する人、玄関前に生ゴミを放置する人、「早く撃ってしまえ」と迫る人…。個体識別の努力も行われ、夜間の赤外線感知式自動撮影に成功。有刺鉄線に付着していた体毛からは、03年と04年のヒグマが同一個体(オス)だということも判明した。
人間とヒグマの隔離方針は続けられたが、次第にヒグマの行動も大胆になり、目撃や痕跡通報も増えていった。最終的に06年9月14日、市が設置した箱ワナにオス成獣がかかり、射殺された。
このクマが2001年ごろから西区西野に出没していたヒグマと見られている。皮肉なことに、射殺直後の23日、すぐ近くで別のヒグマのフンが見つかった。大型の個体が捕獲されたため、別の個体がその空間に入り込んだ可能性がある。駆除がヒグマ個体群を不安定にしてしまうという一例かもしれない。
札幌市の相談にのっていた道環境科学研究センターの間野勉・野生動物科長(ヒグマの会理事)は、「このクマが人里に接近を始めた初期の段階で、誘引物をなくし、人は怖いぞと言う『学習』をさせれば、問題は避けられたかもしれない」という。
出没初期といえば、この雄グマがまだ若いころ。やはり好奇心が強い時期に、菜園の作物の味を覚えると、人への警戒より、うまい食い物への執着が勝ってしまう。
また、もし、人間と距離を保つことを覚えたオスのクマがいれば、ほかのクマはその地区には入りにくくなる。むやみな駆除よりも、適切な予防策のほうが効果が上がる、という根拠だ。
ヒグマ騒動は、北海道内のあちこちの市町村で、大なり小なり起きている。「また来たか」と漫然と受け流すことは危険につながるし、一方で地域を挙げての大騒ぎが必要な例もほとんどない。「人とヒグマの距離感」をどう保つか。それは人間の側に科せられたテーマだ。
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